新選組か新撰組 ?

新選組のセンは、「選」か「撰」のどちらが正しいのでしょう。
いつごろから新選組を名乗ったのでしょう。

島田魁日記には
「この節に武家伝奏より新選組の隊名を下された」とあって、近藤らの励む姿に孝明天皇は、ことのほか感激され、武家伝奏を通じて新選組の隊名を下します。

新選組のセンの字ですが、実は新選組には実印がありました。

元治元(1864)年五月二十日付けで隊中に男色が増えて困っていると伝える近藤から中島次郎衛宛の封筒に「新選組」の一寸角の黒印が押されています。
実印には由緒正しき文字を使います。

が、会津藩庁記録はすべて”撰”を使っています。この”選”と”撰”に限らず、当時の人は当て字など結構気ままに使っている。
 


2004年3月5日 / 2004年6月17日 京都新聞夕刊/朝刊より
霊山歴史館学芸課長 木村幸彦

三十三年間に約百五十点の新選組関係の本を出版した新人物往来社の編集者に尋ねると、「撰」の字を使ったのは『新撰組顛末記』(隊士の一人、長倉新八著)など三点のみ、とのことです。
「作者の指定がない限り選を使っています。選は選ぶ、撰は文を編纂すること。武家伝奏から授かった隊名は新選組だと思います。だから撰を使うのは間違いだというわけではありません。当時の人はあまりこだわることなく両方使っていたようですから」と、担当者。

新人物往来社

「新選組!」展に足を運んでみますと、屯所跡の一つ、旧前川邸にあった「会津新選組 隊長近藤勇」と墨書きした雨戸が展示されています。
その一方で、「新撰組局長 近藤勇」としたためた本人の手による文書も展示されています。

『定本新撰組史録』(新人物往来社)の著者、平尾道雄氏は、そのまえがきで、「選」が一般的になっている中「撰」を使っていることについて「会津藩庁記録が撰になっていることや、近藤勇の文書の中に新撰組と書いたものを発見したから」としています。
そして、交友のあった『新撰組始末記』の著者、子母沢寛氏が「私は歴史を書くつもりではないから文字にはこだわらないが、壬生の屯所の扉には新選組の落書きが残っている」と、その写真を見せたといいます。
そして、二人の間で「当時の人は、案外文字には頓着せず、使い慣れた文字を気ままに書いたのではないか」という結論に達したというエピソードを紹介しています。
その上で「後世の人も”新選組”と”新撰組”の相違は問題にせず、その当否が議論されたことも私は知らない」と結んでいます。
 

京都新聞

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