新選組マップ

壬生界隈 (全行程約0.6km 約60分  光縁寺 → 旧前川邸 → 八木邸 → 新徳善寺 → 壬生寺 → 壬生塚)

浪士隊を募った清河八郎と近藤勇の間にひともんちゃくはあったものの、江戸をたって16日目の隊員らが入洛の荷を解き、最初の屯所を構えたのがこの地。

[光縁寺]
本堂裏左奥に山南敬助、河合耆三郎、大石造酒蔵らの墓があり、また野口健司、谷三十郎、藤堂平助、伊藤甲子太郎ら25人が過去帳に記されている。
受付で100円の志納金を納めると、ご住職が親切に説明し、案内書をいただける。
それによると当時の住職・良誉上人と山南は同年で、寺の瓦紋と山南家の家紋は同じだった。
寺の近くに新選組の馬小屋があり、切腹を命じられた隊士たちをねんごろに弔ったのは良誉上人だった。
山南も隊を脱走したとして、沖田総司の介錯で切腹させられた一人だ。

綾小路を西に進むと、突き当りの手前が黒板塀の壬生郷士・前川荘司邸跡で新選組の屯所の一つ。
尊攘派志士を急襲した池田屋騒動は、この前川邸で凄まじい拷問を受けた古高俊太郎の自白がもとになった。
現在は製袋会社の所有になっており、内部は非公開。
この向が壬生郷士・八木源之丞邸で一般公開されている。
新選組幹部の部屋で局長・近藤勇の木像、幕末の武具などが展示されている。
隊の規制を乱した幹部・芹沢鴨は、この八木邸で粛清された。
今も刀傷が残る。

八木邸の向かいが新徳善寺。
やはり新選組の屯所となったところだが、勤皇の志士・清河八郎(のち幕府の刺客に暗殺される)が全隊員234人を前に「本当の目的は倒幕、天皇警護」と宣言、隊士を驚かせた。
幕府から10両の旅費をもらって、はるばる京の都に治安維持のために駆けつけた隊士は驚いた。
隊は分裂し、13人のみが残った。
近藤勇、沖田総司、土方歳三らである。

新徳寺の向側が有名な壬生寺。
新選組が早朝から剣の素振りなどを繰り返した場所。
新設された阿弥陀堂奥には近藤勇局長の銅像、芹沢鴨らの供養塔などが並ぶ。
一般に壬生塚と呼ばれており、三橋美智也の「あゝ新撰組」の歌が100円入れると自動的に演奏される。
毎年7月16日午後1時半頃からここで慰霊法要が開かれるのは、池田屋襲撃が祇園祭宵山の夜だったことによる。
皇宮警察京都警護署有志による剣道や剣舞、詩吟、歌謡ショーもある。

● 京屋忠兵衛
「京都新選組同好会」がオープンした新選組グッズショップ。
「開陽丸」の実物砲弾なども展示されている。
電話番号 : 075-821-3234
 
 
 

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