京を追われる新選組 時代の波濤、きらめく果てに。

土方、馬上で「戦死」 箱館戦争で獅子奮迅


 

残る新選組のスターは土方歳三のみだった。
旧幕府軍で最後まで意地を通したのは海軍副総裁・榎本武揚だ。
彼は幕府の旗艦とも言うべき最新鋭の「開陽」「蟠竜」「回天」など8隻を奪って品川沖から脱出した。
大鳥圭介「伝習隊」、土方歳三の新選組など総勢2800人。
榎本武陽軍の狙いは箱館五稜郭の奪取、松前藩の福山制圧、蝦夷の台所と言われた江差の3ケ所。
初戦は榎本軍有利に展開、たちまち五稜郭に無血入城、箱館では旗艦「開陽」から祝砲21発が打たれた。
だが、この時すでに会津若松の鶴ケ城が陥落、白虎隊の悲劇は今も涙を誘う。

北海道での土方歳三の奮戦は松前を陥れ、江差に向かう。
江差の有力商人は家財道具を山中に隠すなど町中は静か。
海上から榎本武揚が乗る幕府最大の「開陽」が攻める。
この時、政府軍に神風が吹いた。
「開陽」は暴風雨で江差港で座礁、沈没し、救援の「神速」も大破した。
しかし、榎本武陽は五稜郭、松前、江差の3拠点を制圧したとして、明治元年12月15日、北海道(蝦夷地)全島を平定し、土方歳三は陸軍奉行並に就任した。
 

▲ 官軍の手に落ちた鶴ケ城 = 会津若松城
 

▼ オランダから輸入した幕府最大の軍艦「開陽丸」 ▼ 桜の名所・五稜郭

   

▲ 一時は旧幕府軍が制した五稜郭

しかし明治2年4月、官軍の総攻撃が始まり江差に5000人の兵士と弾薬、食料が上陸した。
土方歳三の壮絶な奮闘は今も語り草だ。
本州と北海道との間には波高い津軽海峡がある。
榎本艦隊は「開陽」「蟠竜」「回天」「千代田形」を失い、制海権は完全に官軍が握った。
土方歳三は箱館奪還をめざして大森浜に急いだが、官軍に狙撃されて馬上で絶命した。
1869(明治2)年5月11日、享年35歳。
1週間後、榎本武揚は官軍に降伏、戊辰戦争が終結した。
新選組は入洛から5年で怒涛と「誠」の歴史を閉じた。

   

▲ 箱館戦争絵図                          ▲ 箱館奪還の途、土方歳三が戦死したとされる一本木関門(函館市)
 
 
 

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