屯所の変遷  壬生の狼、流転の宿命

▼ 西本願寺の太鼓楼 新選組本陣はこのあたりに置かれた。

お西さんは「極楽・地獄」 180人大所帯、本陣として占拠

新選組は1865(慶応元)年3月10日、壬生の屯所から「お西さん」で有名な西本願寺に移転した。
隊士が180人にもふくれあがった新選組にとって、壬生はもう手狭だった。

西本願寺に目をつけたのは土方歳三だった。
境内は広いし建築も立派だ。
東本願寺は長州と会津、薩摩の「禁門の変」による京の大火で焼け野原だった。

「お念仏の道場に壬生狼が乗り込む」 - 狼狽した西本願寺は新選組にワイロ、酒色攻勢をかけてなんとか打開しようとしたが、土方歳三も近藤勇もガンとして聞かない。
堀川花屋町の西本願寺は、堀川二条にある二条城と至近距離だ。
西本願寺は境内北側の600畳敷きの北集会所を貸し与え、ここに「新選組本陣」の看板が掲げられた。
 
 

この間の事情は、西本願寺の坊官(宗務の重役)西村兼文の「新撰組始末記」に詳細に記録されている。
大砲の空砲実験、小銃の実弾訓練など「断獄刑場にことならず実に極楽に地獄」といわしめたほどだった。
西村兼文はさらに「新選組は会津藩の保護するところなれば、京都所司代組与力同心は萎縮して手を出すものがいない。門主も深く心気を煩わされ誰も嘆息せざらん者なかりし。新選組も一堂に諸隊を集合させることは不便で外見もよろしからざるを察し、承諾した」と記述している。
 


▼ 西本願寺の屯所跡に建つ参拝会館       ▼ 新選組が屯所にした北集会所は解体移転して
                                                                           姫路市・本徳寺本堂になっている

   

西本願寺は新選組と本音の話し合いに入った。
本陣を移転してくれたら、要望通りの新本陣を建設してプレゼントするのだ。
場所は西本願寺西南の不動堂村。
109メートル四方の土地を買収し「まるで御殿」のような新本陣が完成。
1867(慶応3)年6月15日に移転した。

だがこの新本陣はわずか6カ月の命だった。
この年10月、最後の徳川幕府将軍慶喜が大政奉還勅許の沙汰を受け、12月9日、王政復古の大号令で将軍職が廃止された。

▼ 新選組最後の不動堂村屯所跡

▼ 不動堂村屯所跡は現在、ホテル敷地となっている  ▼ お西さんを引き揚げる時、隣の興正寺から「手切れ金」がわりの
                                                                                   200両を新選組は手に入れた

      
 
 
 

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