新選組ふるさと

志高き在野のサムライたち

文武に長じた富農集団 
  徳川家崇拝、独自の風土

 ▼ 土方歳三の生家 
 現在は改築され「土方歳三資料館」となっている。 東京都日野市・日野市ふるさと博物館

東京・日本橋から下諏訪に通じる甲州街道の最初の宿が日野宿である。
江戸から約40キロ。
歩いて10時間、ちょうど1日の距離である。
信州の小大名が行き交う静かな宿場だった。
豊な農村の広がる多摩地域は、徳川幕府の西の防衛線として江戸中期に幕府を守る農兵・八王子千人同心を生んだ地でもある。

新選組は、江戸幕府と共に生き、徳川家崇拝の独自の風土から誕生した。
新選組隊士たちを支えた江戸の天然理心流剣法は、試衛館道場主・近藤周助が日野宿界わいに出稽古に来ていたことから多摩一円の豪農の子弟に一気に広まった。
とくに甲州街道沿いの武州多摩郡石原村(現調布市)に出稽古道場を開いていた豪農・宮川久次郎の三男・勝五郎(後の近藤勇)が周助の養子になって試衛館4代目を継いだのと、日野の名主で日野農兵隊長の佐藤彦次郎一族が入門してスポンサー的役割も果たしたことが大きい。

佐藤の母は土方歳三の父の妹。
妻ノブは歳三の姉で、土方家も農業と散薬を製造販売する富農だった。
 
 

 ▼ 石田寺の土方歳三墓所 (日野市)

歳三は江戸に出て商人の道を志したが挫折して帰省、19歳で試衛館に入門、一転剣の道を目指した。
少年時代から剣術の基本を身に付けた近藤や沖田総司らと違い、土方の剣は我流でフォームは決して美しくなかったが、実戦には強かったと語り継がれている。

近藤、土方らの試衛館グループは、食い詰めた浪人でも、金目当ての連中でもなかった。
身分は農民だったが佐藤、小島鹿之助ら多摩の豪農名主は剣だけでなく文にも長け、剣術修行ばかりでなく、学問や読み書きの修行も怠らなかったという。
 
 
 
 
 
 
 

▼ 近藤、土方の供養碑 (東京都JR板橋駅前)         ▼ 近藤と妻つねが眠る龍源寺 (東京都三鷹市)

   
 
 
 

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